本日、晴れて卒業と修了の日を迎えられた皆さん、誠におめでとうございます。今日まで長い学生生活を支え続けて下さったご家族や関係者の皆様にも、心からお祝いを申し上げます。また、お忙しい中ご臨席いただきました来賓の皆様には、深く感謝申し上げます。
ここにいらっしゃる学部学生の皆さんの多くは、私が本学学長に就任した2021年4月に入学されましたので、私にとって皆さんは同期と言えるかもしれません。全員揃っての入学式は、老虎机游戏感染症の拡大のために行えず、それぞれの学科専攻で私のビデオメッセージを流すしかありませんでした。入学後の数ヶ月はオンライン授業とせざるを得ず、徐々に対面の授業に切り替わりましたが、それでも課外活動が大幅に制限され、同期や先輩との繋がりもままならない大学生活のスタートだったのではないでしょうか。今日、皆さんは様々な困難を乗り越えて学位記を手にしますが、どうぞ自分自身を褒めてあげてください。私も皆さんをとても誇りに思います。
皆さんの大学生活を締めくくる2024年度には、多くの忘れられない出来事がありました。昨年の夏は記録的な高温となり、気象庁によると統計開始以降、西日本と沖縄?奄美では1位、東日本では1位タイとなる暑さでした。ロシアによるウクライナ侵攻とパレスチナのガザ地区での戦闘は、未だ終結には至っていません。年が明けて今年の2月末から3月にかけては、岩手県の大船渡で大規模な山林火災が発生しました。多くの家屋が焼失し、亡くなられた方もいらっしゃいました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。
さて、東日本大震災から14年が経過しました。あの巨大地震に最も似ている過去の大地震は、西暦869年(貞観11年)にこの地を襲った貞観地震とされています。今から1156年前のことです。当時の東北はどんなだったのでしょうか。貞観地震のはるか前の大和朝廷の時代から、東北に住んでいた人々は蝦夷(エミシ)と呼ばれていました。宮城県の多賀城は貞観地震の145年前の724年に蝦夷と呼ばれた人々を支配するための城柵として建設されています。当時は以前から住んでいた蝦夷と呼ばれた人々、関東周辺などからの移民、そして中央から派遣された支配層がこの地に住んでいました。自分の祖先がどんな立場で東北にいたのか、想像してみるのも良いかもしれません。
西暦802年には、岩手県胆沢周辺の蝦夷の長だった阿弖流為(アテルイ)が朝廷軍に降伏、平安京に連れて行かれ、現在の大阪府内で処刑されてしまいます。そして869年の貞観地震の頃には、東北のある程度北まで朝廷が支配していたようです。
河北新報社から「蝦夷(エゾ)古代東北の英雄たち」という本が出版されています。この本の序文を当時の河北新報社の社長、一力一夫氏が書いています。囲碁で数々のタイトルを獲得し、世界選手権でも優勝した一力遼氏はお孫さんにあたります。この本では、蝦夷(エミシ)と同じ漢字を用いてエゾと読ませています。その序文には、エゾと呼ばれた人々は「中央政府の東方計略が始まるまでは未開人なりに平和に暮らしていたのである。」とあります。そして、「東北に生まれ、東北に住み、そして東北の土と化していった。」と続きます。
さらに、「六世紀ごろから八世紀まではそれでも小康を保っていたが、やがて多賀城の設置、前九年の役、後三年の役を経て次第に中央政府、そして源氏の勢力が浸透してきた。陸奥の安部氏、出羽の清原氏が次々に興っては倒れ、最後にエゾの豪華な花を咲かせた藤原四代の平泉。それも源頼義?義家親子以来の怨念を秘めた源頼朝に故なくして滅ぼされて」と書かれています。この序文は、「我々東北人はこうしたエゾの子孫であることを誇りとしているのである。」と結ばれています。
皆さんの多くはこの東北に生まれ、あるいは東北で育った方だと思います。そうでない方も学部学生は少なくとも4年間、大学院生は2年または3年間、東北文化学園大学で学ばれたのです。本学は、その教育理念のなかで地域社会への貢献を掲げています。これから引き続き東北で活躍される方は、東日本大震災からの完全な復興など様々な課題を抱えるこの地域の再興に貢献していただきたいと思います。また、東北を離れる方も是非、東北という二文字を心に刻んで、この地域を応援していただきたいと思います。
結びに本学の建学の精神は、「老虎机游戏」です。「輝ける者」とは、自立した力を持ち、他者とかかわり合いながら未経験の問題に応える人です。これからも皆さんが東北に誇りを持ちながら真の「輝ける者」に成長することを願い、私の式辞といたします。本日は、誠におめでとうございます。
2025年3月14日
東北文化学園大学
学長 加賀谷 豊