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総合政策学部 総合政策学科

故郷の地名

2018.11.20
総合政策学部教授 王 元

 2018年4月26日の国見テラス(「黄河改道」)で我が故郷安徽省臨渙の停滞について述べた。行政区分的には臨渙は「臨渙区」(現在は「臨渙鎮」)を指します。

 臨渙区は面積211.49平方km、人口は8万人、臨渙鎮(1.3万人、臨渙郷を含め)+周辺の六つの郷、60の行政村からなります。小学校は51校、中学校は13校、高等学校は2校。この二つの高校はそれぞれ鉄道の西側にある臨渙と、海孜に位置します。両地は約15里(7.5km)離れています。高校時代、夏の眠られない夜、臨渙から海孜まで往復15kmのジョギングをしたことある。

 臨渙区に七つの郷、60の行政村があるが、行政地図にある地名は78に上ります。「行政村」とは自然村ではなく、基本的に人口規模で決めたもので、通常幾つかの自然村を合わせたものである。例えば、臨渙城の直ぐ東にある「周荘」は西の陳荘」と東の「王荘」と三つの「村(荘)」合わせたものであり、陳荘?周荘?王荘の人口規模から言うと4:2:5の関係であるが、陳荘と王荘の争いから漁夫の利を得たのはこの周荘です。同じように、城西の黄荘は黄荘+賀荘+周荘(城西)からなります。

 最近、臨南、澮北のような新しい地名も出てきました。
臨南は昔の南碼頭(馬姓が多い)+劉洪荘からなり、澮北は中心的李沃子+周辺のいくつかの自然村からなります。他方、記憶にある碼頭荘(北碼頭、呉姓が多い)、高湖(李合圩付近)は今の行政地図から見当たりません。
 統計したことはないですが、自然村の数は恐らく150位に上るのではないでしょうか。行政地図、地名は行政的なものに過ぎないことも忘れてはならないことだと思います。

以下、地名に多用されるものについて簡単に纏めました。
(1)荘
 「荘」の由来は恐らくですが、二つあります。一つ目は取引規模の大きな商店、特に卸売りが中心である店を指すものです。このようになった「荘」の中で、最大規模といえるのは河北省の省都の石家荘でありましょう。二つ目は地主の荘園を指します。小作人を雇用し田を耕させる農園である。我が故郷の「荘」は皆規模が小さく商工業も皆無な状態であることから見れば、おそらく後者の部類に属するといえます。

(2)村

 故郷の地名には中国農村で典型的な地名である「村」が多くありません。行政地図上では「韓村」のみとなります。村は「自然村」といわれるように自然発生的な共同体であることに対し、「荘」は地主一家の家族中心とする共同体が雛形で、人為的な要素が含まれます。ただし、今日の故郷でいう「荘」は「村」と同様視すべきでしょう。

(3)圩

 「圩子」ともいいます。淮河流域に特有な防洪営造物。低地の周りの堤をいいます。家屋などを洪水から守るため、家屋を囲むという形で建てられ、「囲子」とも書きます。これは基本的には地方の有力な人物(地主、郷紳等)が宗族や家族の力を合わせて作り上げたものなのです。個人的には、「圩子」という文化は恐らく「捻子」と何らかの関係があると思います。例えば、「捻」は「圩」の暗黒面ですが、事実は確認していません。